南極沿岸湖沼調査を終えて(6)-香月 興太 博士-

公開日 2018年08月29日

<img title="180829-TOP.jpg" src="/_files/00278034/180829-TOP.jpg" alt="180829-TOP.jpg" />南極沿岸湖沼調査を終えて(6)

~南極での移動手段~
 
文責:香月 興太
島根大学エスチュアリー研究センター
第59次南極地域観測隊夏・先遣隊 隊員
 

 南極での移動手段というと皆さんはどのような手段を思い浮かべるでしょうか?白い雪原を走る雪上車を思い浮かべる方もいるかもしれません。実際、ドームふじへ行く調査隊など内陸を移動するグループにとって、雪上車は重要な移動手段です。沿岸地域を調査する隊でも海が厚く凍り付く冬から初春にかけて、長距離を移動する際は雪上車が足となります。


写真23.海氷上を走る雪上車。クラックなど危険が多い場所は、スノーモービルで海氷状況を確認しながら走る。 

 59次先遣隊では、南極到着後に58次越冬隊の方から雪上車講習を受けました。雪上車の操縦は、車のようなハンドルではなく、レバーを使って操作するので、慣れるまで少々時間がかかります。実は雪上車のイメージを挙げると、「遅い」「うるさい」「面倒」などといったネガティブなイメージが先立ちます。雪上車は基本的に時速10 km以下で走ることが推奨されます。またキャタピラで走り、放熱のため走行時は機関部側面を開放しているため、走行中雪上車はガタガタ振動し、内部は騒音で満たされます。運転中助手席の隊員と話すのにも声を大きくする必要があり、長く乗っているとなんだか耳が悪くなりそうです。また、雪上車は運転する前に暖機を行う必要があり、降りた後も各部の雪落としなどを行う必要があるため、移動の前後に色々と時間が要ります。一方で、雪上車には「パワフル」という強力なメリットがあります。長期間南極の野外で生活する為には、多量の食料や燃料、調査機材が必要になりますが、雪上車はこれらの荷物を満載したそりを軽々と運搬することができます。
 ただ、雪上車があれば海氷や氷床上をどこでも自由に走れるというわけではありません。海氷や氷床上には数々の自然のトラップがあります。クラックと呼ばれる氷のヒビは、落ちれば海中や氷床内に真っ逆さまで命を失う危険があります。またシャーベットアイスと呼ばれる現象も厄介です(写真24)。海氷の上に降り積もった雪の重さにより、海氷が押し下げられ、下から染み出した海水により、海氷が溶かされる現象です。シャーベットアイスは一見するとなんの異常も見られないのですが、そこに踏み込むとずぶずぶと沈む氷のアリジゴクです。


写真24.シャーベットアイス。海氷の上は雪で覆われているため、雪の下が安定した海氷なのかシャーベットアイスなのか判別しがたい。 

 春になり気温が上がってくるとこうした危険はあちこちに出てきます。こうした危険を少しでも避けるため、南極で氷上を移動する際はルート工作とよばれる作業を行います。まず、スノーモービル等で先行して、氷の状態をチェックし、安全と思われるルートを確保し、旗をたて、また次の地点までの安全をチェックしに先行します。雪上車は安全のために旗と旗の間を直線でしか運転できないというわけです。雪上車の運転者は常に次の旗がどこかを確認しながら運転します。このように南極での移動は非常に時間と労力がかかります(と、なんか知っているように書きましたが、私は58次越冬隊が一生懸命作ってくれたルートをそのまま使って移動しましたので、ルート工作の苦労は味わわずに済みました。58次越冬隊に感謝です。)。ちなみに雪上車やスノーモービルから氷上に降りるときにも注意が必要です。雪上車やスノーモービルはキャタピラがあり、接地面が広いため、重さが分散されますが、人間は接地面が足の裏しかないため、重い雪上車が沈まないところでも人間は沈むことがあります。特にハイドクラックと呼ばれる氷のヒビの上に雪が覆いかぶさり、割れ目が隠れている場所はあちこちにあり、雪上車が乗っているからと氷上に注意を払わずに雪上に降りると、幅数10センチのクラックにはまり込んでしまう、ということが起こりえます。注意一秒怪我一生という言葉がありますが、南極ではその一生自体が不注意で終わってしますところが怖いところです。
 雪上車が活躍するのは、沿岸地域では基本的に冬・春だけです。南極観測隊でも夏隊員の方は雪上車に乗ったことがない人たちが結構いるかと思います。代わりに夏の間、観測隊の足になってくれるのはヘリコプターとなります。59次隊では海上自衛隊が運営する2機の大型ヘリ(通称:CH)と観測隊が運営する1機のヘリ(通称:観測隊ヘリ)の計3基のヘリコプターを利用しました。


写真25.CH。自衛隊の方々、滞在中お世話になりました。

 移動に時間がかかり、海岸から調査地までは徒歩となる雪上車と違って、高速で移動し、目的に直接行けるヘリコプターは非常に便利です。ただ、非常に便利であるがゆえに、ヘリコプターはあらゆる部署に引っ張りだこで、そのスケジュールはまさに分単位でぎっしりと事前に決められています。そしてここに非常に大きな問題が発生します。その問題とは、「南極では絶対にスケジュール通りに物事は進行しない」ということです。南極の天候は不安定で、しょっちゅう強風が吹き、濃霧が発生するので、ヘリの運行は頻繁に中止になります。もちろんヘリが飛ばなかったからといってその間の作業を簡単にあきらめることはできません。ヘリが飛べなくなると、中止になった期間の作業と残りの作業予定に優先順位をつけ、スケジュールを組みなおして、ヘリを使う予定を再構築します。荒天のたびに、ヘリを使う予定を組みなおし、新しいヘリの運航スケジュールを全部署に連絡する必要が出ます。要は優先順位の低い作業(研究)をあきらめて、飛べなかった際にやるはずだった作業に充てるわけですね。でも、当たり前ながらすべてのチームで自分達の作業(あるいは研究)は重要だと思っています。ヘリの時間調整は隊長・副隊長が各部署と相談しながら決めるのですが、みんな自分のヘリ使用時間を減らされまいとするので調整を行う隊長たちは大変です。野外に出ているチームと無線でやり取りしながら、その日のうちに新しいスケジュールを決めなおし、また各チームに連絡。常に野外にいた私には実際の大変さは分かりませんが、無線でやり取りを聞いているだけでも苦労が伝わってきます。一方で、天候に振り回される野外の隊員も色々と大変です。野外にヘリで調査に行ったはいいが、迎えのヘリが荒天で飛んでこない、という事態はざらに起こります。実際に野外にいると、「荒天でヘリが今日は飛ばない」という連絡が来る場合はまだいい方です。嫌なのは、「今はヘリが飛べないが、天候回復するかもしれないし、様子見します」という連絡です。こういう状態のとき、「わかった、ヘリが飛べるようになるまでテントで寝とくわ」というわけにはいきません。ヘリが来たら直ちに移動できるように、荷物を撤収し、いつでも来いという状態で待っておく必要があります。ここで最悪なのは、調査チームがいる現地の天候が微妙でヘリが飛べるかわからない場合です。びゅうびゅうと強風の吹く中、ヘリが飛んでくることを祈って待ち続ける羽目になります。実際、朝ヘリが迎えに来る予定だったのに、夕方まで「様子見」が続いた挙句、「やっぱり今日は飛べない」という連絡が来ることがあります。朝テントを畳んで、1日寒さに耐えて夕方テントを設営するだけで1日が終わるわけです。ちなみに、現地の天候は素晴らしい好天なのに、ヘリがあるしらせや昭和基地の天候が不順でヘリの運行が様子見になることもよくあり、一日待ったあとにヘリが来ないと、この時間があればどれだけ調査が出来たことかと悲しくなります。
 あと、便利なCHヘリの問題点は「爆風」です。ヘリコプターに乗られたことがある方はご存知かもしれませんが、ヘリコプターというのは強力に風を巻き上げて発着を行います。高い運搬能力を持つ大型ヘリであるCHが巻き起こす風は尋常ではありません。雪の上が発着地点の場合はともかく、夏の乾燥した露岩域の場合、雲母を大量に含んだ砂が舞い上がり、ポケットや髪の毛の間など、穴や隙間は砂まみれ、カメラのレンズにも容赦なく雲母が入り込んできます。ところで、CHを必要とするということは大量の調査機材や荷物を現地に運ぶ必要があるということですが、この荷物類はCHの発着地点のすぐ脇に準備しておく必要があります。貴重なCHの使用時間を少しでも短くするため、CHが来たら直ぐに荷物を積み込めるようにするのです。しかし、上述のようにCHの発着地点付近は爆風が吹き荒れています。下手をすると荷物が吹き飛ばされてしまいます。そこで荷物が吹き飛ばされないように、荷物の上には重しとなる石などを置くのですが、最終的に隊員自体が重しとして、荷物の上に覆いかぶさって荷物を守ります。かくして隊員はCHが飛んでくるたびに砂まみれになるのです。ちなみに飛んでくる砂は結構痛いです。また「爆風」もそうですが「爆音」もなかなか厄介です。CHの発着時は、話したい相手の耳元で大声を出さないと相手に声を聴かせることができません。CH乗船時に荷物の積み下ろしを行う際は海上自衛隊の方々が毎回手伝ってくれるので、お礼の一つでも述べたいところなのですが、そもそも会話ができないんですよね。通常観測隊員はしらせで南極まで行くので自衛隊の方々と話をする期間が十分にあるのだと思いますが、先遣隊でしらせにほとんど行かない身としては、夏の間お世話になっている人たちと会話ができないのは残念です。
 雪上車にしろヘリにしろ、色々と大変な点はあるのですが、日常で使う機会のない乗り物に乗れるのは中々に楽しい経験です。特にヘリは南極の地形や環境を空から眺めることができるので、移動時間はかなり楽しみです。


写真26.ヘリで移動中にみた氷河末端の光景。

 最後にひとつ「アークティックトラック」について述べたいと思います。日本の南極観測隊では使われてないのですが、ロシア基地飛行場などに行くとロシア隊やインド隊のものが走り回っています。「トヨタ」車です。氷雪上を安定して走るためのタイヤをもっており、氷雪上をなんと時速60~80kmで走行することができます。ちなみに私、昭和基地から60~80km南方で野外生活を送っていました。雪上車だと移動に1日かかるので、戻れないんですね。「アークティックトラック」だと片道1時間か1時間半!野外でお風呂に入りたくなるたびに思っていました。なぜトヨタ車が海外隊にあって、日本隊にないんだ!いつか氷上を「アークティックトラック」で走りまわってみたいものです。


写真27.インド隊所有のトヨタ車。

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